2006年05月12日
2006.5.12 夢の中の小さな椎名誠
今朝見た夢は、非常に強烈だった。
目が覚めてもなお、夢の中の人の声や部屋の温度などの生な感覚が、
あたかも現実に体験してきたかのようなリアルさで、持続していた。
わたしは何故か浅草にいた。
商店街にある木造二階屋の店舗兼住宅の
上階の住居部分に招き入れられて、ある人物と話をしていた。
その人物が、何故か椎名誠だったのである。
椎名誠といえば、肉体派・行動派の作家である。
ガッシリしていて背も高く、顔も声も精悍なイメージなのは誰も依存はないだろう。
が、しかし、夢の中でわたしが対峙していた椎名誠は、
身長が140cmくらいしかなかった。
ちょうど小学生の甥っ子より少し小さいと感じたから、或る程度、正確だと思う。
そんな小さな椎名誠なのに、そこにいる全ての人間が、
本来の大きな作家先生である椎名誠として接するのである。
これは、コメディノロジーの分析テクニック ④置き換え を適用できる現実のコメディである。
椎名誠が持つ「大きい」という属性が「小さい」に置き換えられている。
(或いは、⑤逆転 を適用しても良いのかもしれないが)
構造が、掛け値なしのコメディだったのである。
しかも、全員が、そこにいる椎名誠が本来よりもかなり小さなことに
気づいているようなのが、コメディ感を高めていた。
わたしが話をしている間に、ひっきりなしに人が訪れていた。
編集者、カメラマン、事務所のアシスタント、商店街の組合の人、
なぜか蕎麦屋の出前など、
それらの人々が、
「どうも先生ご無沙汰してしまっておりますぅ」と言って頭を下げて近づいて、
顔を上げ、小さい椎名誠に気づくと、決まって「ヒッ!」と、まさしく声にならない声をあげて、
ずずっと後ずさりをするのだが、
同時に2コマくらい遅れて、
「わたくしは、気づいていませんよ」という表情を無理矢理に浮かべて、
微妙な態勢で椎名誠に対峙するのだ。
微妙な態勢とは、近づきすぎると自分の方が大きなことが一目瞭然になるので、
すこし距離を置きながら、しかも、無理矢理に猫背になって、
無理矢理に椎名誠の顔を角度的には仰ぎ見ているようにすることだった。
そして、そこには、かなりの緊張感が漲っていた。
故・桂枝雀師匠が唱えた「緊張と緩和」理論の見本のような空気感だった。
わたしが、必死で笑いをこらえていたのは言うまでもない。
言ってみれば、社員全員が知っているが知らないふりをしなければならない、
「社長のズラ」のような話なのだが、
この夢の中の椎名誠がコメディとして申し分なかったポイントは、
「自分が小さいことに気づいていない」点だった。
椎名誠がすっくと立ち上がって言ったこの台詞は強烈だった。
「パタゴニア人の足のデカさはさあ、実際に見てみないとわからない」。
小さな椎名誠がものすごく大きく振るまい、そして語るのである。
そこにものすごいコメディの本質が横たわっていた。
しかも、椎名誠が立ち上がると、その場の全員が中腰になって彼を仰ぎ見るのだ。
このオモシロイさを表現するには、時間のある時に脚本か小説か絵本か何かに
しなければならない。
近い将来、このモチーフは、熟成させて、
このブログ上で、コメディのカタチにして発表したいと考えております。
コメディの素材「夢の中の小さな椎名誠」ということですね。
By Yasunari Suda:2006年05月12日 18:59
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